とどまることのない季節の巡りは、現実の上に立つ身の救いになる。
幸田文 季節のかたみ
午前中に所用を済ませて、さて今日はどうしようかと考えていると、ふと、川霧が見たくなりました。
それだけの理由で、午後から奥会津へ。柳津を過ぎ、三島町を抜け、金山へ車を走らせます。
只見川は、ここ数日の雨で水嵩を大きく増していました。轟々と流れる濁流の上を、白い川霧が静かに立ち上っていきます。
自然は、ときに穏やかで、ときに恐ろしい。そのどちらもが、同じ景色の中にありました。
霧は谷を満たし、山と集落の輪郭をやわらかく溶かしていき、気づけば自分と景色との境界まで曖昧になっているようでした。
「霧幻峡」。
名前だけを聞けば少し幻想的すぎるくらいですが、実際にそこに立ち、目にすると、その呼び名もまた腑に落ちます。
ここで暮らす人たちにとっては、特別ではなく日常にある景色なわけです。
行き着いた先で立ち寄ったのは、小さな共同浴場。
最初は貸切状態でしたが、しばらくすると地元のおじいちゃんがお二人やってきました。
話しかけられるままに他愛のないおしゃべりをしているうちに、少しのぼせてしまいました。
「今日は特に霧が深い。こんな日はさっさと帰って酒を飲む。外なんか出ねぇよ」
その言葉が、なんだか妙に心に残りました。
思いつきで訪れるには、少し遠い場所だったのかもしれません。
けれど今日は、ただ川から立ち上る霧を見たかっただけ。そんな曖昧な理由だけで出かける午後も、ときには悪くないものです。
季節は留まることなく移り変わり、次の風を必ず運んできてくれます。
自然の巡りそのものが、現実を生きる私たちの救いになり、前を向く力を与えてくれるという幸田文の自然観が離れませんでした。
明日からまた、お店はしばらくお休みをいただきます。完全に何もしないと言える休日は、今日の午後くらいでしょうか。
あとは少しずつ、やるべきことを進めながら過ごしたいと思います。
